電子スピン共鳴分光

電子スピン共鳴分光(ESR、EPR)は、物質中の「電子スピン」を観察する実験法です。「量子力学」の教えでは、電子スピンは、電子が1個だけ入ったエネルギー準位に発生します。伝導帯(電子が入っていないエネルギー準位の集まり)や価電子帯(電子が2個入ったエネルギー準位の集まり)は、そのままでは観測対象にはなりません。ESRが観察するのは、エネルギーギャップ中のエネルギー準位と、伝導帯や価電子帯に発生したキャリアです。これらは半導体や絶縁体の性質を決める2大要素。ESRはその大事な要素を選択的に観察することができます。

詳しく言えば、ESRは、このような大事なエネルギー準位の「(固有)波動関数」を他のどんな実験法よりも詳しく調べることができる特長をもっています。「波動関数を知る」ということは、「エネルギー準位の起源を知る」ことにつながります。エネルギーギャップ中のエネルギー準位は、ほとんどの場合、結晶格子の原子の並びが乱れた結晶欠陥不純物原子から発生します。伝導帯や価電子帯に発生したキャリアは、結晶格子にドープされた不純物原子から発生している場合がほとんどです。こういった結晶欠陥や不純物原子がどのようなものかを調べたい時に、ESRはその能力を最大限に発揮してくれます。

ESRが半導体に応用されたのは1953年。シリコン(Si)が最初でした。それ以来、膨大なデータが蓄積されましたが、まだまだ研究すべきことはたくさん残されています。その1つは新しい半導体材料、例えばシリコンカーバイド(SiC)などです。

そして、もう1つはシリコン集積回路などの微小デバイスの内部です。マイクロメートル~ナノメートルのサイズとなる非常に微小なデバイスの内部の結晶欠陥や不純物原子を調べるのは非常に難しいため、まだデータが十分に集まっていません。このような微小領域では、大きな結晶では見つからないような未知の現象が起きていて、半導体デバイスの開発者を悩ませています。私たちのグループでは電流検出型のESR(通称EDMR)というユニークな方法を使って、シリコン集積回路のトランジスタなどの微小デバイスの内部を調べ、微小領域で起こる不思議な現象の解明に取り組んでいます。

 

図1  ESRスペクトルの例(シリコンカーバイドの炭素空孔)

図1  ESRスペクトルの例(シリコンカーバイドの炭素空孔)
このスペクトルには、炭素空孔を構成する4つのシリコン原子が観察されています。このようなESRスペクトルから結晶欠陥の原子構造が詳細に決定されます。【T. Umeda et al., Phys. Rev. B 69, 121201(R) (2004).

 

図2  シリコンカーバイドの格子間炭素欠陥

図2  シリコンカーバイドの格子間炭素欠陥
シリコンカーバイド(SiC)で作られたパワーデバイスは、グリーンイノベーションあるいは次世代パワーエレクトロニクスのキーデバイスとして期待されて います。現状の課題は、SiC単結晶中に存在する多くの結晶欠陥の存在で、この欠陥はその中の基本欠陥の1つです。1000℃以上で凝集し始め、デバイス に悪影響を及ぼします。ESR信号は「HEI5/6」と名付けられています。【T. Umeda et al., Phys. Rev. B 79, 115211 (2009).

 

図3  シリコン中のフッ素

図3  シリコン中のフッ素
EPRスペクトルより決定されたSi空孔-フッ素欠陥(F0~F3欠陥)。シリコンLSI製造プロセスでよく用いられているフッ素イオン注入で発生する欠陥です。これらの欠陥は200℃以上で拡散を始めます。【T. Umeda et al., Appl. Phys. Lett. 97, 041911 (2010).

 

 


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